• 田舎坊主の闘病日記ー腰の骨が溶けたー<まとめ ep2・3・4編>
    Jun 19 2025

    シリーズ 7―「田舎坊主の闘病日記<腰の骨が溶けた>」のまとめ編です。

    エピソードの2~3編をまとめて放送します。

    これからもお聴きくださいますようよろしくお願いします。

    合掌

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    26 mins
  • 田舎坊主の闘病日記ー腰の骨が溶けたー<おわりにー生命力と魂のありか>
    Jun 12 2025

    「あとがき―生命力と魂のありか」

    妻敏子(パーキンソン病歴15年・要介護五度)は、平成29年6月16日、 訪問看護師に対応していただいているとき、突然、心肺停止して救急でN病院に入院しました。

    看護師の適切な対応で一命を取り留め、約10分後に心臓も呼吸も回復し、意識が回復しました。聞けば心肺停止から蘇生する確率は1~7%だそうです。しかも10分間心停止していたにも関わらず、まったく後遺症も残さなかったことは奇跡だそうです。

    少し落ち着いた日にK病院に転院し、嚥下リハビリを中心に行い順調に快復したことは関わっていただいた医療関係者のご尽力もさることながら、お大師さま、お不動さま、そして「病に苦しむ人に寄り添い、苦しみを取り除いて下さい」との心願で平成17年自坊に発願建立した「おたすけ地蔵さま」のご加護と、心から観じている次第です。

    妻は2年前には8ヶ月の胃ろう生活を乗り越え、主治医をして「回復しての胃ろう抜去はあまり経験がない」と言わしめた、胃ろうからの卒業を果たしました。そして今回は心肺停止からの蘇生、しかも後遺症なしという奇跡でした。

    胃ろう設置・抜去、心肺停止と、そのたびに妻は生命力の強さを教えてくれました。「命」のたくましさとありがたさに唯々感謝したのです。

    私自身も入院を含め約一年の闘病で、インターネットで見つけることができなかった化膿性脊椎炎の完治を果たすことができました。私にも少なからず生命力のたくましさが残っていたのでしょう。

    8月16日、1回目の心肺停止を乗り越え退院した妻は次の日から順調に日常生活を送れるようになっていきました。2人でドライブをし、美味しいものを食べ、庭の花いじりをし、デイサービスでは孫のために粘土細工でペン立てを作るなど楽しい日々が続いたのです。

    一週間後23日の通院では、主治医から「元気になってよかったね、薬は二ヶ月分出しとくから」といわれ、笑顔で手を振って診察室を出たのです。

    翌24日には、朝からいそいそと洋服を着替え、デイサービスでは一般浴にも入り、好みの粘土細工や軽い運動を楽しくできたことを喜んで帰ってきました。

    しかし、帰宅後の午後4時から訪問看護を受けるのですが、そのときに突然心停止の状態に陥ったのです。

    2回目の心肺停止は想像だにしていませんでした。再び心臓マッサージをするかしないかは私にとっては究極の選択でした。このときの葛藤はずいぶん長い間、私の心から薄まることはありませんでした。


    通夜葬儀には、妻がパーキンソン病に罹る以前からボランティアとして関わった同病の仲間や難病患者会の患者さんたちも病気を押して参列し送ってくれたのです。

       *

    満中陰を済ませたあと、子どもたちが気分転換にと妻とお参りしかけていた西国巡礼札所に行こうと、声をかけてくれました。札所に着くと納経堂でお軸にご詠歌を書いていただき、本堂の前で般若心経をお唱えし、「敏子、残りの札所はこれからお参りするから見守ってや」と心で願いました。


    お参りも終わり、孫たちの買い物があるということで、あるショッピングセンターの駐車場に車を止め、ドアを開けたとき、場内放送のアナウンスが聞こえたのです。

    「・・・お越しのモリタトシコさま・・・」と妻の名前を。。。

    みんなびっくりして顔を見合わせました。まるで妻も一緒に来てるような放送なのです。

    私は胸が熱くなり、孫たちに「きょうは、ばあちゃんも一緒に来てるんやなあ」と話しかけました。


    この日のことは、妻がみんなを守るように寄り添い、行動を共にしているようで、田舎坊主の私に「魂のありか」をまざまざと示してくれたように感じた、不思議な出来事だったのです。

    合掌

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    9 mins
  • 田舎坊主の闘病日記ー腰の骨が溶けたー<妻の旅立ち>
    Jun 5 2025
    ■妻の旅立ち2017月6月5日10:00大便あり。わしが妻の毛染めをする。2017月6月7日K病院外来通院。朝食べるのが遅くなって薬が効きにくく、昼前の薬も遅れて、そのあとすべてジスキネジア(不随意運動)がでて調子は今までで最悪。夕食もまともに食べられず。2017月6月8日16:00大便あり。今日はジスキネジアなしでありがたい。2017月6月9日昨夜一二時大便あり。今日二人の結婚記念日でケーキを買ってくる。2017月6月10日妻をドライブに、いずみの里へ。帰りに串柿の里でパンを買う。ソフトクリームにかぶりつく笑顔は最高やった。退院できて、おいしいものを食べられてほんとうによかった。2017月6月12日17:00大便あり2017月6月14日橋本のソバ屋へお昼を食べに行く。帰りに道の駅へ行って仏壇の花を買う。2017月6月16日妻、訪問看護で摘便の最中に意識がなくなり救急でN病院に入院。16:00、デイから帰るといつものように薬を飲んでお菓子を食べた。少し薬が早く切れているみたいだったので、早く座るようにせかす。16:00過ぎ、訪問看護師二人がみえてバイタルを測るときにジスキネジアがはじまり、そのまま部屋に入り摘便を始める。10分ほどして訪問看護師さんが妻の名前を大声で呼ぶので、部屋をのぞくと訪問看護師から「お父さん救急車呼んで!」といわれ、119に電話する。呼吸もなく心停止の状態。119番からは「心臓マッサージをしてください」ということで、蘇生マッサージをしているとすぐ救急車到着。薬と保険証をもって同乗し、N病院へ。救急室に入って30分あまりで「心臓も呼吸も安定してます」といわれる。ただ意識がないので入院となる。その夜、持参の薬を飲むもジスキネジアが強く一睡もできず、付き添う。2017月6月17日絶食で薬は通常通りの量を鼻から注入。やはりジスキネジアがひどい。昼過ぎみんなで妻の足のマッサージをしてくれている間に六階の食堂に食べに行く。妻が運ばれてから初めての食事。夜、担当医より「薬を減量してようすを見ます」ということで午前6時から三時間ごとのメネシット一錠とコムタンに決まる。19:00ごろ一度帰ってシャワーをして着替えて病院に戻るが、わしの背中の筋肉が痛み出した。2017月6月18日6:00から投薬再開。薬が効かないのでジスキネジアも出ない。ただ心臓マッサージのため筋肉が壊れているということで高熱と褐色尿が続く。幸い、朝から少ししゃべれるようになる。意識は順調に快復を見せてくれている。がんばれ。2017月6月19日体温も下がり始めるし、尿の色も薄くなってきた。嚥下リハビリをしてみて呑み込みを調べると主治医。しゃべれるようになると、水を飲みたい、コーラを飲みたい、抑制ベルトを外せとうるさい。午前9時の服薬のあと11時過ぎからジスキネジアが出る。12時の服薬のあと午後2時20分頃からジスキネジアきつく現れる。やはり薬が切れるころのジスキネジアが強い。わしは妻が入院してからはじめて帰って家で寝る。2017月6月21日体調が落ち着いてくればK病院へ転院とのこと。2017月7月5日K病院へ転院。嚥下リハビリを中心に体力回復のための入院計画をいただく。2017月8月16日お盆が終わって一段落したので妻はK病院を退院。退院した妻は次の日から常食をむせることなく食べ、薬の調整もうまくいき日常生活を送れるようになっていました。家に帰れたことの喜びが薬になったのでしょう。2017月8月17日「暑いし体力もまだ回復してないから外に出ないように」と言うのに、ヒールの靴を履いてるのを見て「なに履いてんねや」と叱る。妻は「高くない」と言い張り、花が大好きな妻は庭の花をいじりだした。この日、訪問看護で摘便。万が一のため吸引器を貸してくれる。2017月8月20日退院後初めての10:00から訪問入浴。直前までジスキネジアあるが、10:20頃薬効ありで順調に入浴する。40CC浣腸、13:30大便あり。2017月8月21日楽しみにしていたデイサービスを開始する。7:20薬。8:20着替え順調。16:00順調に帰ってくる。体力がないのに暑い外に出たがるので困る。2017月8月22日退院後初訪問リハビリ。2017月8月23日K病院外来通院。先生から「元気...
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    15 mins
  • 田舎坊主の闘病日記ー腰の骨が溶けたー<妻の退院と胃ろうからの卒業>
    May 29 2025

    ■妻の退院と胃ろうからの卒業

    2015月11月27日

    午後から退院後のカンファレンス。ケアマネMさん、訪問看護師さん、デイサービス担当者さん、病院の看護師、リハビリ先生が参加してくれる。妻の退院も間近になってきた。

    2015月11月29日

    妻に退院の話をすると「寒くても家の方がいい」と妻が言う。そらそうやなあ。あした迎えに来るといって帰ってくる。

    2015月11月30日

    妻退院。長い間よく頑張りました。

    夜9時、コムタンをやめてレキップ2㎜gを追加した。マイスリーも注入した。

    これからは家で妻の胃ろう(PEG)からの薬注入一日9回の日々が始まる。がんばらなければ。


    ※退院後、しばらく調子のいい日が続いてくれました。

    2016月1月20日

    K病院通院、主治医から「経口で薬を三週間飲んでうまくいけば胃瘻を取り外すことにする」と。

    2016月2月1日

    8:00座薬。8:50大便通常量。

    2016月2月2日

    7:00のメネシット(パーキンソン病主薬)を1錠に減薬したらOFFになり、感情失禁。

    2016月2月3日

    8:15座薬、8:30大便通常量あり。

    娘が住職を務める薬師寺までいっしょに往復散歩する。

    2016月2月4日

    久しぶりに妻を家の風呂に入れる。

    2016月2月10日

    K病院通院。三週間順調に口から薬を飲むことができたので胃ろう抜去する。あっという間に抜き取りました。先生に「胃ろうは何回もつけてきたけど、抜き取るのははじめてや」と言われました。

    これからは服を着るのもお風呂に入るのも少しは楽になりそう。

    夕食までは食べられないので点滴してもらう。

    2016月2月11日

    8時15分座薬、8:30大便通常量あり。

    眠剤を飲んでから食べるので困る。食べている途中から眠気がきて、食べさせるのが困難になるからだ。

    夜の薬を飲んだら食べない、ベッドに入る、このことを心に決めることが一番なのに・・・。

    午前3:30ごろから「亡くなったおじいちゃんがお茶を欲しがってる」とキッチンでお茶を入れて仏壇に供えてる。「こんな夜中にせんでも」というが聞かない。


    ※このあと週二回のデイサービスと訪問看護を利用し始める。このデイサービスは妻がずいぶん楽しみにしてくれ、このあと約4ヶ月の間、充実した日々が続きました

    合掌

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    7 mins
  • 田舎坊主の闘病日記ー腰の骨が溶けたー<命をいただく②>
    May 22 2025
    2015年9月25日ここ2、3日妻は不安定。三味線生徒O君が持ってきてくれた柿をむいて持っていって、お昼を一緒に食べる。デイルームで食事をしていると、家と間違えて「ご飯、しかけとこか」と話す。2015年9月27日朝から堤防リハビリ散歩。骨抜きサーモンのフライを妻に持っていく。2015年9月28日調子が良さそうなので、妻に車いすを押させて病棟内散歩リハビリ。わしの腰のことを心配してくれてるようだ。妻、今日は元気だ。2015年10月1日きょうの妻はなかなかおかずを食べてくれない。2015年10月2日お昼を一緒に食べてから、帰ってくる。2015年10月3日午後JR和歌山駅前で難病患者のための国会請願署名活動。もう20年以上続いている。最近は孫たちもみんなが手伝ってくれる。2015年10月4日午後、W病院の外の庭を車椅子で散歩。2015年10月5日妻にカップラーメンを作ってお昼に食べる。2015年10月6日妻の表情が安定している。2015年10月10日薬が切れると唾が粘るので、泣き出す。2015年10月12日柿の葉寿司を持っていく。朝ベッドをフラットにされていたので粘りの強い唾を出せなくて泣いていた。看護師にベッドを起こしてもらうようにお願いする。2015年10月13日巻き寿司を持っていく。今朝はベッドを起こしてもらっていた。2015年10月14日妻のインフルエンザの予防注射を病院にお願いする。2015年10月15日リハビリはよく歩いたので、お昼前に薬が切れる。2015年10月19日檀家Kさんのお葬式で末の孫のお守りのため、久しぶりに妻の病院を休む。2015年10月20日わしはN病院内科外来。だいぶよくなってるので次回から通院をホームドクターに戻してくれるという。再発の心配はほぼないとも言ってもらう。ほんとうにありがたい。というのもネットで「化膿性脊椎炎が治った」という検索結果がなかったことを思い出したからだ。2015年10月21日妻は不安定だった。2015年10月22日きょうも妻は体調不良でリハビリ行けず。2015年10月23日病院の下庭の散歩に車椅子で連れて行く。2015年10月に14日朝から唐揚げを作って妻に持っていく。2015年10月26日薬が効いているちょうどいい時間に妻、髪をカットしてもらう。お昼カツサンドをぺろっと二つ。食べてくれるのはうれしい。2015年10月30日次女の祥月命日でお墓参り。妻の退院についてケアマネMさんに来てもらう。2015年11月1日お義姉さんが地域のハイキングのため、いつもは昼前に行くのだが、今朝は八:三〇から病院に行く。2015年11月2日お義姉さんが弁当を作っているときに目まいがしたので、長兄だけハイキングに行ったそうだ。メニエール病だとか。ずいぶん疲れさせてるみたいで、申し訳ない。昨晩から冷たい雨。妻は落ち着いてた。2015年11月4日今日は病院の廊下をよく歩けた。2015年11月7日海南市の公民館での講演に行く。2015年11月9日コロッケを作って持っていく。美味しいと食べてくれる。2015月11月10日午後、ケアマネMさんと当初お世話になった施設のKさんが来て説明を受ける。妻が肺炎で救急入院するまでの4日間で99,000円は高いと思っていた。なにがしか返金するといって帰る。わしの入院が急だったこともあり、かなり契約がいい加減だったようだ。2015年11月12日ケアマネMさんとヘルパーKさんSさんが病院へ来てくれ、退院後の妻について先生から一緒に話しを聞いてもらう。2015年11月15日うっとうしい雨模様。お昼妻にラーメンを作る。パーキンソン病の友人Eさんが脳梗塞で入院とのこと。かなり重症らしい。みんな大変だ。2015年11月16日朝から堤防を歩く。妻退院後のため、ポータブルトイレの洗浄用に電気屋さんにたのんでトイレに長い蛇口を取り付けてもらう。2015年11月17日朝堤防歩いてから病院へ行く。雨模様。2015年11月18日今朝も堤防歩いてから病院へ行く。2015年11月19日堤防歩いてからW病院へ。コンビニでコロッケを買って持っていく。妻はそのコロッケを、お世話になってるお義姉さんに「これあげて」という。2015年11月20日堤防を歩いてから病院へ行く。2015年11月21日朝から堤防リハビリ散歩をしてから、妻の病院へ行く。夜、友人A君に近くの料理屋でお呼ばれする。A君には本当にいろいろ心配...
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    12 mins
  • 田舎坊主の闘病日記ー腰の骨が溶けたー<命をいただく>
    May 15 2025
    ■命をいただく私が2月26日に入院後、まもなくして肺炎で入院した妻はその後PEG(胃ろう)をつけているが、先週くらいから軽く食事が摂れるようになった。約5ヶ月の間、食べたかろうにと、それは分かっていても誤嚥すれば元の木阿弥。かわいそうにと思いながらもこちらも我慢です。「塩にぎりが食べたい」、「焼きそばが食べたい」、「コロッケが食べたい」「オムライスが食べたい」・・・。眠っているときも食べている夢を見ているのか、口をモグモグさせている。先々週、コミュニケーションも少しとれるようになり、調子が良さそうなときにフルーツを少し食べさせると上手に食べたので、看護師に話すとそのことを経口食リハビリの先生に話してくれたのか、「先生と一緒に売店に行ってサンドイッチを買ってきて食べた」というのです。それから病院に行くたび、塩おにぎり、卵焼き、焼きそば、コロッケなどを作って持っていくと少量ながら喜んで食べてくれた。「久しぶりに食べられてうれしいことやなあ、おいしいか?」「おいしい!」今日、病院へ行くとリハビリ先生の見守りでお昼ご飯が終わったところやったのに、ケチャップ満載のオムライスを持っていくと、すぐ食べて笑顔で「おいしかった」と。うれしい会話ができた。口から食べることがどれだけ大切なことか。 ※「食べる」は「喰べる」とも書きました。「喰」は、人がひざまずいて食べ物をささげている(いただく)ようすの形象文字からできています。「喰」の「口」が「食」の「ヒトヤネ」の下に入って「命」という漢字に変化したのだそうです。だから「(命を)いただきます」というのでしょう。ありがたいことです。2015年7月28日妻部屋を移る。二階東病棟二六六号室へ。2015年7月30日お好み焼きを作っていく。おいしいと食べてくれる。「大便がしたくなった」と言いので、堅いのをもんで出してやる。2015年8月1日特別暑い、高温注意報発令。2015年8月3日猛暑日。おいなり寿司と巻き寿司を持っていく。おいしく食べてくれる。表情も良く、目元もしっかりしている。妄想も少ない様子でありがたい。わしが行く日に座薬を入れてもらって大便あり。2015年8月7日わしはN病院整形外来。先生はレントゲン写真を見ながら「骨化が進んでいる」と、おしえてくれる。2015年8月9日今日はお盆の施餓鬼会。みんながお手伝いしてくれる。しばらくうちのお寺で一番忙しい日が続く。友人A君が奥さんと一緒にはじめて参ってくれる。2015年8月10日赤沼田地区と他所の棚経、55軒2015年8月11日横谷地区の棚経、60軒2015年8月12日麻生津中地区と他所の棚経、70軒2015年8月13日西脇地区と新仏の棚経、80軒テレビの「ぶっちゃけ寺」をみて、「飲み物や食べ物を出されるよりはペットボトルのお茶の方がありがたい」と坊さんがいうてた放送があったので、「たくさんペットボトルを出してくれた」と、副住職がいっぱい提げて帰ってきた。2015年8月14日北涌地区の棚経、95軒2015年8月15日朝8時、松原墓地へお焚き上げに行く。副住職は大阪の棚経へ。妻は揚げせんべいと、売店へ行って買ったミニラーメンを食べきる。2015年8月17日入院後、簡保やJA共済の高額医療などで還付された金額は1,052,500円。大助かり。2,015年8月18日散髪。妻に唐揚げを持っていく。お昼がカレーだったので、二個ぐらいであまり食べず。2015年8月19日雨でうっとうしい。2015年8月20日妻におかきを持っていく。すぐおいしそうに食べる。わしがいる間は安定していて落ち着いていた。笑顔もあってありがたい。リハビリに行くのについていって入院費を払ってから帰ってくる。2015年8月21日患者会Mさんの奥さんがまた転倒して、あばら骨にヒビが入ったそうで痛がっていた。2015年8月23日妻からはじめて「すぐ来て」と電話来る。急用ではなく寂しいのだろう。スルメを買っていくと一袋喜んですぐ食べる。2015年8月24日妻にスルメとドーナツを買っていく。2015年8月26日九州台風の通過でうっとうしい天気やけど、久しぶりに夕方リハビリを兼ねて近くの紀ノ川堤防を歩く。2015年8月27日妻にエビおかきを持っていく。「『今は一二月』...
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    17 mins
  • 田舎坊主の闘病日記ー腰の骨が溶けたー<退院そして妻の病院へ>
    May 8 2025

    ■退院、そして妻の病院へ

    ※妻の入院中、病院ではすべて長兄の奥さん(義姉)が付き添ってくれた。本当に助けていただいた。

    2015年6月11日

    妻がW病院に転院する。ヘルパーKさんに手伝ってもらって、副住職と娘にいってもらう。

    娘たちが帰るまで、妻は泣いていたそうだ。かわいそうだけどしばらく我慢してくれよ・・・。

    2015年6月12日

    N病院整形外来通院。CRP炎症異常なし。レントゲンを見る。骨ができるまで数ヶ月かかるそうだ。抗生剤は6ヶ月は必要。やっとこれから骨が少しずつできていくのか・・・

    2015年6月14日

    昨日から座りっぱなしで少し足にむくみが出てきた。筋肉もなくなっているので、少し階段を上ったりしないと・・・。

    2015年6月15日

    退院後はじめてW病院へ行く。やっぱりわしが死んだと思ってた様子。薬は効いていて歩いてお風呂に行く。ただ嚥下リハビリでプリンを食べないと言って、リハビリの先生を困らせている。帰りには機嫌良くしてくれた。

    2015年6月18日

    妻の幻覚が続いていて、スニーカーの支払いが済んでいないと何度も話す。

    2015年6月19日

    N病院外来。整形通院。CRPは〇・〇五で異常なかった。次回は二週間後の外来。

    2015年6月25日

    妻はよく眠っていて、目が覚めてから帰ってきた。ニュープロパッチ(パーキンソン病の貼り薬)がかゆくて剥がすので、飲み薬のカバサールに変更してもらう。

    2015年6月27日

    新刊「田舎坊主の七転八倒」ができあがり届く。

    2015年6月29日

    妻の伸びた髪と、ついでに爪を切る。幻覚が強いのが心配。かわいそうにベッドの手すりに首をはさんで首の後ろにキズができていた。褥瘡もあるようで貼り薬をしてもらっている。

    2015年7月2日

    妻の入院費支払い。しりとりをして遊ぶと落ち着いている。

    2015年7月3日

    N病院整形外来。CRP〇・〇七で異常なし。内科担当主治医だったN先生に新刊本を贈呈する。

    2015年7月6日

    妻に果物入りゼリーを少し食べさせた。看護師から注意を受けたが、食べやすくのどの通りのよい気に入ったものなら、食べられるのになあ・・・

    2015年7月9日

    W病院へ。妻ちょっと不安定。

    2015年7月11日

    昨夜久しぶりに大腸憩室炎の痛みが出て、眠られず。

    2015年7月13日

    妻、割合気分がいいよう。

    2015年7月16日

    妻がリハビリの先生と一緒に売店へ行ってサンドイッチを買って食べさせてもらったそうだ。よかった!久しぶりにうれしいこと・・・・。

    2015年7月17日

    N病院外来通院。CRP〇・〇二。異常なく、レントゲンも大きな変化なく、少し骨ができているそうだ。

    2015年7月21日

    N病院内科外来。贈呈した新刊本をN先生が奥さんに読んでもらったら、「はじめてN病院での医師としての仕事の内容を知ったみたいだ」と苦笑しながら話してくれる。

    ※N病院のN先生はまさに「医は仁術」という言葉が当てはまる医師で、このことについて「田舎坊主の七転八倒」で触れていた。

    2015年7月23日

    焼きそばとコロッケを作って持っていく。妻は手をたたいて喜んで食べる。でも少ししか食べられないのか「胃が小さくなった」と言う。リハビリの先生にも呑み込みを見てもらったが、うまく嚥下できているということで、軟らかい食事から出してくれるそうだ。ありがたい。

    2015年7月27日

    オムライスを作っていく。リハビリの先生にお昼ご飯を食べさせてもらっていたけど、半分ほど喜んで食べる。明日から三食ハーフで食事を出してくれる。

    合掌

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    9 mins
  • 田舎坊主の闘病日記ー腰の骨が溶けたー<抗生剤点滴から経口へ>
    May 1 2025

    ■抗生剤、点滴から経口へ

    2015年5月26日

    経口抗生剤クラビット500mg朝一錠、今日から。夜9時大便。

    友人A君本を差し入れ。子どもたちが来てくれる。

    2015年5月27日

    10日時大便。売店へ歩いて牛乳買いに行く。

    妻のお姉さんたちが来てくれる。妻がW病院へ転院することを話す。

    2015年5月28日

    今夜はじめてボルタレンを飲まず過ごす。すごいことや。

    檀家のIさん亡くなる。三人僧のため院号をつけて戒名メールで送る。

    きょうは28日、副住職が護摩を焚いてくれる。

    2015年5月29日

    採血あり。娘と孫たちが着替えを持って来てくれる。

    文芸社に原稿を校正して送る。

    2015年5月30日

    夜九時大便。

    Iさんお葬式、結集のK寺に手伝い依頼。

    2015年5月31日

    9時大便。痛みは朝起きがけのとき、左足太ももが少しつっぱるが、夜のボルタレンを止めても大丈夫のようだ。

    今まで手帳に書いていた日記をPCでファイルに書き込む作業する。

    田辺での友の会の総会が始まる前にYさんに電話を入れる。Eさんは来てるが奥さんが入院したそうでMさんは欠席という。みんな役員も大変だ。

    2015年6月1日

    9時大便。10時シャワーに行く。

    副住職と娘が着替えもって来てくれる。末の孫は眠ったまま。

    2015年6月2日

    9時大便。装具屋さんにコルセットを調整してもらう。

    副住職と娘が家で夏物に入れ替えてくれる。

    お義姉さんに妻が「グレーのカバン(財布)を盗られた」と言っているという電話が、娘にかかってきて、そんなカバンがあるのかどうか、わしに確認の電話が入る。また、妄想なのか?幻覚なのか? 妻の調子が気になる。また、コロッケと巻き寿司を買いに行くとも言ってるそうで、薬が効いていると食べたくなるのか、そんなことも話しているという。また少し心配になる。

    娘には大事なものが入ったカバンはちゃんと預かってるからと、安心させてくれるよう頼んでおく。

    ヘルパーKさんとSさんが見舞いに来てくれ、わしも久しぶりに楽しくしっかり話ができた。

    2015年6月3日

    W病院へ副住職と娘が家族面談で行ってくれて、妻の転院が11日午前中に決まる。

    ケアマネMさんから電話あり、わしの介護保険を準備しますとのこと。「ギャッジアップベッドを借りる段取りをしてもらう」っていうけど、わしはまだ年が足らんはず。

    檀家のSさんがきて長く話していく。「他宗に入るので掛け軸を燃やしてもいいか」と聞きに来る。

    2015年6月4日

    シャワーに行く。

    副住職と娘、孫たち来てくれる。2番目の孫は吐いたそうで保育所を休んだ。

    妻は歩けるようになっていると、看護師から説明してもらったそうで、「11日のW病院への転院も自分で歩けるから自家用車で行ってください」という。

    夕方、お店をしてるYちゃんがまたおかずもって来てくれる。今度はカツオの佃煮とナマズの蒲焼きと小鮎の煮付け。川で釣ってきたそうだ。ごちそうさま。

    2015年6月5日

    採血。レントゲン。血液検査もレントゲンも問題なしで8日に退院が決定しました。

    ケアマネMさん、真剣な顔で、「介護保険は年齢足らない」と言いに来る。

    2番目の孫がピアノ練習の帰り、末の孫と寄って、ナマズの蒲焼き・鮎甘煮・佃煮を持って帰る。

    2015年6月6日

    病院内の非常階段でリハビリウオーキングする。

    パーキンソン病の友の会会員Mさんから電話あり。奥さんが五月初めに腰椎の圧迫骨折で入院し、今はやっと歩けるようになったとのこと、みんな大変です。患者会会員のYさんが病気による指先切断のため入院してきた。みんな大変なんだ。

    2015年6月7日

    部屋の洗面器でシャンプーする。そのあと非常階段でリハビリウオーキングする。

    いよいよ明日退院。

    2015年6月8日

    2ヶ月ぶりにN病院退院。帰りに副住職と娘、回転寿司へ食べに連れて行ってくれる。

    合掌

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